骨董を楽しむには、多少の知識が必要です。私自身万年初心者ですので、難しいことはわかりませんが、知っていることから、役に立ちそうな話題を選んでお伝えしたいと思います。動画を中心にしたわかりやすいものとなりますよう心掛けています。どうぞ、お楽しみください。
骨董の大きな部分を占める陶磁器は、その名の通り、陶器と磁器に分けられます。陶器と磁器はどう違うでしょう?白くてピカピカしてるのが磁器で、茶色っぽいのが陶器という風に思う方もおられるでしょう。大体当たってると思います。もっとも、志野のように白い陶器もあります。 では違いは何か?材料が違います。陶器は山や田んぼなどの土を成型して、焼いたものです。磁器は石を粉にして、それを成型して焼いたものです。
骨董は飾るだけでは、楽しさは限られます。特に古伊万里は使わないとその魅力は十分には味わえないのではないでしょうか。コーヒーを飲むときには、カップ&ソーサーかマグカップか、とにかく持ち手のあるカップで飲みますが、古伊万里のころ茶碗も十分使えます。 古伊万里の輸出用のカップ&ソーサーは小さなデミタスカップに小皿が付いてますが、カップには取っ手は付いていません。ですから、取っ手がなくても構わないの
この三島の平茶碗は、全くもって中途半端なサイズです。ちょっと大きいと平茶碗に使えるし、ちょっと小さければ、盃になります。そんなサイズだからこそ、私のところに来てくれたのでしょう。 前所有者が茶碗に取り立てて、仕覆を誂え、箱を誂え大切にされていたようです。それもそのはず、見込み全体に三島の白象嵌がきれいに施されており、それが立体感を持っていて、手触りも心地良いです。外縁は刷毛目で白化粧土が施さ
汽車土瓶は昔駅弁に添えるお茶を入れた、陶器の土瓶です。明治時代から昭和の40年代まで使われたと思います。それ以後は、プラの容器にお茶を入れるようになり、その容器も今は昔、現在はもっぱらペットボトルです。 私も陶器製のものを使った記憶はありません。プラの容器からです。 ヤフオクに以前はかなり出品されていた時期があり、いくつか購入しました。汽車の旅行に持参し使ってみたいと思うのですが、持ち
この茶碗は、形と言い大きさと言い、抹茶椀にふさわしいものです。茶をたて易く、一人で憩う時にも、来客にも、身近に置いて、気楽に楽しんでいます。 李朝の無地刷毛目ですから、これからどんな風に育っていくのかも楽しみです。どんどん、使っていきたいと思います。 いかがでしょうか。私は茶道を習ったことはありません。ただ、茶碗と茶筅があれば、茶をたてることはできます。あなたも、好みの一碗を見
オールドノリタケで少しだけ手の込んだ、金彩の入った、湖畔白鳥の図のカップ&ソーサーはお客様用に使っています。 淡い色合いを巧みに使った絵付けや、コバルトの濃い青のインパクト、出しゃばり過ぎない金彩が調和した、一つの世界が形造られています。見ているだけでも、飽きません。 いかがでしょうか。ちょっとだけ贅沢なオールドノリタケ!!さらに凝ったものもあります。 あなた好みのカップを見
仕事に疲れたら、手を休め、一杯のコーヒーをいかがですか? そんな時に、100年の歴史を経た、オールドノリタケを使ってみると、また気分も満たされるのではないでしょうか。オールドノリタケは、国産磁器製品の国外輸出のトップブランドです。海外のユーザーに好まれるべく、絵柄や技法に様々な工夫を凝らしてきました。 自ずとそういう心意気やエネルギーを感じさせてくれます。 いかがでしょう
い茶道を習っておられる方や、ましてや師範の方には、御不快に思われるかもしれません。お許しください。 私は、こんな使い方が、骨董を使う楽しみだと思います。李朝の茶碗は、日本からの注文で茶碗として焼かれた、御本茶碗というのもありますが、多くは、雑器として焼かれたのではないかと言われています。そういう意味では、案外、こんな風な使い方も、この器の本来の目的にかなったものかもしれないのです。 ま
あなたもこのサイトにおいでいただいたということは、骨董に興味をお持ちだと思います。古いもの、美しいもの、面白いものに関心がおありなんですね。それでは、実際にお買い求めになったことはおありでしょうか? ある方もない方もいらっしゃるでしょう。ところで、骨董ってどこで買えるでしょう? 一言で言えば、骨董屋さんですね。 そこで、その骨董屋さんを少し分類してみましょう。
普段使っているものが、古びていると、「骨董品のようなものを使って・・・。」と言われます。これは通常、あまりほめられているとは考えられないでしょう。しかし、私にとっては最高の褒め言葉です。日常使用しているものを、骨董と言えるまで育てる。それが、私の楽しみです。 この2本の木のボールペンもそんな風に、毎日日常に使って、骨董の育つ可能性を持っています。骨董に育つためには、それ自体美しいことが必要で